私がその人と初めての出会ったのは16才の時だった。

「鬼のパンツ」を真剣に踊って見せ、レクリェーションリーダーとして私達を指導していた。

二十歳になった時、看護師として社会人になった私は、その人と再会した。

スカイライン2000GTのトランクからバラの花束と一冊の大きな絵本を手渡された。

レオ・レオニ作 谷川俊太郎訳「フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし」

それから更に10年後、その人は私をお茶に誘った。場所は北アルプス3000mの頂だった。

なぜ山へ?「山頂でお茶を。」雲海を見下ろしながら挽きたてのキリマンジャロを味わった。

「いつかキリマンジャロに登ってキリマンジャロを飲んでみたい。」だなんてつまらない話に

私は苦笑した。私は看護の仕事のやりがいや楽しさを、まるで天職であるかのように自惚れて

息せき切って語った。

その人はマグカップのコーヒーを飲み干し、それから静かに「無駄を楽しむことの本質」を説いた。

ドイツ人作家ミヒャエル・エンデ著 大島かおり訳「モモ」時間泥棒と盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語。「時間=生きること=人生」「自分の時間を生きること」

目の前のプロセスを楽しみながら進めば長い目で見るとゴールにたどり着くことができるらしい。

下山の3時間、ひたすら黙々と足元を見つめながら考えた。さっぱりわからなかった。若さに任せて

つっ走っていないか、、、との戒めだったのか?

看護師になって40余年。良いことも良くないこともたくさんの経験をした。職業的興味は尽きることなく知識をかき集め失敗は山ほど積みあげた。そろそろ白衣を脱いだ余生を考えることが多くなった。

そんな2020年1月、20年ぶりにその人から連絡がきた。元気そうだった。

「近くまで来ているが、、」しかし残念ながら私は近くにいなかった。初詣の真っ最中、びっくりした。でもほんとに驚いたのは年月の長さではなく、「私はフレデリックになれたのか?」「灰色の男に時間を盗まれなかったか?」それを問われているかのように感じた。

その後まもなくコロナ禍となり再会は無期延期となっている。いつコロナが収束するかわからないこの時間は、感染を怖れながらも一方ではその課題を振り返るためのかけがえのない時間になるのだろうと思っている。

人生の晩年をゆっくり生きている人々がふっとした時に見せる笑顔。重い障害や暮らしにくさがあっても、ここに来れば笑顔になれる。悠の木とあなたをつなぐ「悠YOU」で過ごす時間は、心の豊かさを感じてもらえる時間となってほしい。

私は「フレデリック」になれたのか?「モモ」になれたのか?

悠YOUにその答えがある。                     【K】